豊島区・非核都市宣言30周年

2012年6月9日 01時04分 | カテゴリー: 活動報告

次の世代へ

1982年、今から30年前、豊島区議会は「非核都市宣言」に関する決議を全会一致で議決し、豊島区は23区で初めて「非核都市宣言」を行ないました。(現在では、国内の1557の自治体(約87%)が非核宣言を行なっています。)
 今日、その30周年の記念式典が催され、長崎市で当時18歳で被爆体験をした和田耕一さんのお話を聞く事ができました。勤労動員で市電の運転手をしていた和田さんは、多くの仲間を捜しに爆心地に向かった様子をありのまま語ってくださいました。話を聞きながら思わず、声をあげてしまうようなこの世とも思えない様子が想像されました。自らの辛い体験を多くの場所で、多くの人に語り続けているのは、目の前で息をひきとった焼けただれた友人の最後の言葉、“何もしとらん!”という悲痛な声を伝えるためなのでしょう。
 平和憲法をもつ日本で、東西冷戦も終結した今なお、なぜ私たちは核の恐怖におびえていなくてはならないのでしょうか。(先の見通しが決まらないうちの大飯原発の再稼働宣言?!)
 昨晩は、アフガニスタンで活動を続けるペシャワール会中村哲医師の講演会に参加しました。医師としてパキスタン、アフガニスタンに派遣されるうちに、医師として救えるのはわずかな人だが、この国に、清潔な水と食料さえあれば多くの人が救えると、今は、全長30キロを超す用水路を寄付金を集め日本円にして約13億円で完成させています。茶色の乾いた土地が、緑の大地に変わっている様子は、見事でした。そしてすべてのアフガニスタンの人がで日本というと、広島・長崎の原子爆弾の被爆の国というそうです。
 唯一の被爆国として、私たちは、広島・長崎の多くの犠牲になった人たちの声なき声をしっかりと次の世代に伝えていかなくてはならないのです。3.11以降、福島の人の声も加わっています。次の世代にどのような社会を残してあげられるのか,今が正念場だと思います。